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以下のストーリーは、実際に当事務所の所員が扱った案件を全く別の内容に再構成したものです。所員については実名を記載していますが、それ以外の人物・組織・製品などについては架空の名称に置き換えており、また、当事務所の仕事をわかりやすく紹介するために事実を脚色しています。
その朝、所長室に呼ばれた私は、A社が「特許権侵害」で訴えられたことを知った。A社は米国に本社を置く電子部品メーカー。日本市場では、子会社を通じて主にゲーム機業界に製品を供給している。最近は同社の部品を使ったゲーム機が大ヒットしており、業績は好調と聞いていた。
A社を訴えたのは日本の電子機器メーカー・B社だ。メーカーとはいっても売上の大部分を保有する各種ライセンスの販売で稼ぎ、特許訴訟も頻繁に起こしている企業だ。訴状によるとA社が製造・販売するゲーム機の無線コントローラ用部品「X」が、B社の特許技術を無断使用しており、B社は「X」の製造・販売の差止めと、数億円の賠償金を要求しているという。「X」はゲーム機コントローラと本体との通信に関わるA社の主力製品であり、もし訴えが認められれば、A社は日本市場で事実上の営業停止に追い込まれる。「大塩君。クライアントからは何としても販売差止めだけは回避してほしいと依頼されている。君のチームでこの案件を担当してくれ」。
私のチームに外部から弁護士1名を加えたチームで特許侵害訴訟を戦うことになった。
こうして"食うか食われるか"の特許全面戦争が始まった。
私たちは、特許侵害訴訟と並行して、相手の主張する特許権が「そもそも正当でない(無効である)」ことを示す戦略をとることにした。業界ではこれを「特許をつぶす」という。
相手の特許を「つぶす」には(係争中の裁判とは別に)問題の特許に対する「無効審判」を特許庁に請求する。特許庁での審理の結果、その特許が「特許要件を満たしていない(要件違反)」と判断されれば、それは無効、つまり“もともと存在しなかった”ものになる。これを「無効審決」という。
特許庁の無効審決は一種の行政処分であり(3権分立から言えば)司法とは別の話だが、特許が技術に深く関係し、特許庁は特許の専門官庁であるがゆえに、こうした場合は特許庁の判断が裁判に採用されることが多い。すなわち、特許庁で「無効審決」を勝ち取れれば、裁判所での特許権侵害訴訟でも確実に有利に戦える。
だが、それには当の特許が「要件違反」であることを示さなければならない。そんな証拠が都合よく見つかるだろうか。
「この訴訟の直前に、Bは元の特許を『分割』している。訴訟の対象は、その『分割特許』だ。勝算はきっとある」。所長からの貴重なアドバイスだった。
特許法では、一つの特許を複数に分割して権利化することが認められている。元の特許(親特許)が複数の発明内容を含み、そのある部分だけを早く権利化したい場合などに利用される制度だ。ただし分割特許の内容は「親特許の明細書に記載された事項の範囲内に限る」という規定がある。これを破ると「分割要件違反」となって特許は認められない。
B社は親特許では権利侵害を言い立てにくいので、A社の製品をカバーできるように分割したことは明らかだった。私のチームは親特許と分割特許の明細書、そして「X」の技術資料を手元に並べ、それぞれを詳しく読み込みながら、比較対照する作業に没頭した。
膨大な書類の精査にやや疲れてきた頃、ついに私たちは重要な事実を発見した。製品、ある機構を説明する用語が、親特許と分割特許で異なっていたのだ。親特許では「通信に『マイクロ波』を使う」と記述されていたものが、分割特許では、より一般性の高い「電磁波」に変わっている。Xは通信に「マイクロ波」ではない「電磁波」を使用している。これで勝てるかもしれない。私の心は震えた。
私が「分割要件」に関する相手の重大ミスを発見した頃、サーチ担当のベテランである田中さんも、もう一つの強力な「武器」を手に入れていた。国内・海外の膨大な文献・資料を詳しくサーチして、B社が問題の特許を出願する数カ月前に、非常によく似た発明が米国の特許庁で登録されていたことを突き止めたのだ。これは「進歩性違反」、つまり「既存の特許や発明品と比べて目新しさが少ない」ことを主張するための大きな根拠となる。
二つの有力材料を得た私たちは、すぐに「分割要件違反」と「進歩性違反」の2件の特許無効審判請求を特許庁に提出した。2つの案件は別々に審理されるが、どちらか一方でも無効審決が出ればOK、という両面作戦だ。もちろん両方とも認められれば言うことはない。
無効審判では、まず特許庁を介して互いの主張を文書で述べ合う書面審理)を行い、何度かのやりとりを経た後に、最終的に特許庁の審判廷に双方の代理人を招集して「口頭審理」で決着をつける。口頭審理の数週間前から、私たちは戦いの準備を入念に進めていった。相手の代理人はベテラン弁理士による強力チーム。どんな細かなミスも致命傷になりかねない。一つひとつの論点の確認、相手の出方の予想に基づいた反論の用意、相手が仕掛けてきそうな罠(トラップ)の回避手段や、こちらから仕掛けるトラップの検討……私は、私のチームで最も信頼をおいている飯田さんに仮想敵方になってもらい本番での弁論シミュレーションに励んだ。
口頭審理の当日、審判廷の被請求人側のテーブルには敵方のB社の代理人がずらりと並んでいた。私は緊張しつつも、連日繰り返したシミュレーションを思い出しながら、居並ぶ審判官に向けて、できる限り理路整然と論旨を展開した。
「親特許の明細書の全体にわたって使用されている『マイクロ波』という用語が、分割特許の出願時にすべて『電磁波』に置換されています。『電磁波』とは電界と磁界の相互作用から生まれる波を一般的に表す言葉ですが、『マイクロ波』は、そのうちで周波数が1~100GHzの電磁波を指す用語です。これは分割に際して、親特許の用語を上位概念化したものであり、明らかに要件違反と言えます
」。
もちろん相手も黙ってはいない。「特許法の分割に関する要件『記載した事項の範囲内』とは、一字一句、同じ文言が記載されていることを求めるものではありません。親特許の発明内容が一般的な『電磁波』の概念を含んでいることは自明です。分割にあたって『電磁波』を使用したのは、特許法において許される範囲での補正というべきであり、何ら要件違反ではありません
」。おそらく相手方も書類を精査してこの問題に気づき、対応策を入念に練りあげてきたのだろう。互いの知力・体力・気力を振り絞った論戦は、延々2時間におよんだ。
数週間後、特許庁が下した審決は、私たちの主張をほぼ全面的に認めたものだった。B社特許は分割要件に違反しており「無効」となった。さらに、並行して行われていた「進歩性違反」に関する審理でも、私たちは無効審決を勝ち取ることができた。これに関しては予想外の攻撃に準備ができなかったのか、相手はほとんど反論らしい反論をしてこなかった。私たちの「両面作戦」は2つとも勝利に終わったのだ。
特許侵害訴訟の判決の前に、特許庁から無効審決が出たことで、裁判の行方はほぼ決まった。何しろ特許の専門管庁である特許庁が「無効」と判断したのだ。
「主文 原告の請求をいずれも棄却する―」裁判の最終日、裁判官が読み上げる判決文を聞きながら私は、安堵の思いに包まれていた。判決文には、「
本件特許権は、特許無効審判により無効とされるべきものである。したがって原告は被告に対し本件特許権を行使することができない」。と明記されていた。そんな私を所長は戒めた。「おそらく、このままでは終わらないぞ」。
所長の予想通りだった。数週間後、相手は「審決取消訴訟」を起こしてきた。
審決取消訴訟とは、特許庁の下した審決に不服がある場合に「知的財産高等裁判所」という特別な司法機関に、その取消を求め出るものだ。この場合、原告はB社、被告は特許庁ではなくA社となる。審決取消訴訟は行政判断に対する異議申し立てのため、勝率はさほど高くはないとはいえ、しばしば「逆転」も起こっている。
相手はどこまでも戦い抜く姿勢なのだ。特に「進歩性違反」による無効審決は、分割特許だけでなく、親特許の有効性までも脅かす重大事だ。特許を商売道具にするB社が必死になるのも無理はなかった。
審決取消訴訟の初回審理で、B社側は「『進歩性違反』審決に対する反論材料として専門家による『鑑定書』を提出する準備がある」と述べた。私は、本件はバイオサイエンスのように複雑な技術ではないから鑑定書など必要ない、と考えていた。「被告側も鑑定書を準備しますか?」と裁判官に訊ねられたとき「出しません」と答えかけた私を素早くさえぎり、所長は「提出します」と、答えた。
「大塩君、ツメが甘いな。必ずしも技術に明るくない裁判官相手だからこそ、相手の技術的反論には、しっかり対応しなければならない」。後で所長は私に言った。「勝負するなら、徹底的に勝つ」が当事務所の方針なのだ。私と飯田さんは、事務所の人脈をたどってこの分野での世界的権威であるKK教授とコンタクトし、鑑定書の作成を依頼した。
審決取消訴訟のクライマックスは、知的財産高等裁判所の法廷において、裁判官と専門員を前に行われる「技術説明」だ。今回のように「技術的な進歩性」を争う場合は、その分野に詳しい専門家を同行したり、要点説明にプロジェクターやパソコンが使われることも多い。一種のプレゼンテーションを法廷で行うわけだ。
技術説明の当日、向かい側で硬い表情を浮かべる相手チームを見つめながら、私は、ここに来るまでの数ヶ月にわたる努力と苦労を思い返していた。KK教授からのレクチャーを元に何度も書き直した鑑定書。入念に準備したプレゼン資料。そして今回も何度も繰り返した弁論シミュレーション・・・。
「2つの発明は、明らかに同じものですね」。KK教授の言葉を思い出し、私は自分を勇気づけた。大丈夫、きっと勝てる。
裁判長が開廷を告げ、「最後の決戦」が始まった。
* * *
「主文 原告の請求を棄却する―」。数週間後、私たちは再び知的財産高等裁判所に出廷し、裁判長が読み上げる判決文を聞いていた。審決取消訴訟における相手の主張は全面的に退けられた。「特許無効」は維持。この判決に相手方は上告しなかった。相手の特許無効が確定したのだ。
これで本当に終わりだ。私たちは勝ったのだ。長く、苦しい戦いだったが、クライアントのために全力で戦い抜き、勝利することが、私たち代理人に課せられた使命なのだ。それを果たすことのできた深い喜びと充実感が、ゆっくりと私を包み込んでいった。